沖縄県石垣市のさくら鍼灸院・接骨院

院長コラム
電話
アクセス
さくらのインスタ
デイのインスタ
コラム 院長の自分語り

院長の自分語り その1

こんにちは

今回は前回触れた「柔道整復師」という資格について、
なぜ私がこの道を選び、今に至っているのかをお話ししようと思います。
※完全なる自分語りです。どうかご容赦ください。


私が初めてスポーツに触れたのは、小学4年生の頃。
近所の友達がサッカーをしていた影響で、なんとなくサッカー部に入り、そのまま小学6年生まで続けました。

ありがたいことに、所属していたチームは徳島県内では強豪。
私は補欠のGKでしたが、小学6年生の時には全国大会にも出場させてもらいました。


中学生になると、今度は柔道部へ。

当時から体が大きかった私は、顧問の先生から
「その体なら、徳島で一番になれるぞ!」
という言葉をかけられ、その気になって入部。

……この「おだてられると弱い性格」は、今も変わりません。

残念ながら徳島で一番にはなれませんでしたが、
ご縁あって四国大会にも出場。
(出場予定だった選手が怪我で欠場し、繰り上げ出場でしたが)


高校進学を考える時期になると、これまた運良く県内数校から声をかけていただきました。

実家のある鳴門市から徳島市内までは自転車で約1時間。
正直、楽ではありませんでしたが、
当時の私にとって「徳島市内の高校に進学する」ことは、
それだけで大きなステータスに感じられ、推薦入学を決めました。


転機が訪れたのは、高校2年生になった春休み。

県外遠征中の練習試合で投げられた際、右足を強く捻り、その場から立ち上がれなくなってしまいました。
16年間生きてきて、経験したことのない痛みでした。

徳島に戻り整形外科を受診した結果、診断は
「右膝内側側副靱帯損傷」

その後、母校柔道部OBの先輩が院長を務める接骨院に通うことになります。
約3か月の施術を経て、サポーターを装着しながらも、なんとか柔道に復帰。

この時はまだ
「柔道整復師になりたい!」
という気持ちはなく、
ただただ
「早く復帰させてくれて、ありがとうございました」
それだけでした。


そして高校3年生。

いよいよ進路と向き合わざるを得ない時期です。
大学で柔道を続ける道も考えましたが、

「この先も柔道を続けて、これで食べていけるのか?」

そう自問したとき、
胸を張って「日本一を目指す」とは言えませんでした。

そこで思い出したのが、高校2年時の膝の怪我。
「医療資格、ええかもなぁ」
そんな気持ちが芽生えます。

顧問の先生に相談すると、理学療法士を勧められましたが、
ここで日頃の不勉強が一気に襲いかかります。

指定校推薦を検討するも、評定平均は基準に遠く及ばず、早々に断念。
先生に呆れられつつ、次の選択肢を探すことに。

すると、
「柔道整復師の学校だったら、黒帯もっとったら有利なんちゃうか?」
という一言。

そのまま顧問の先生と一緒に、香川県の専門学校を見学へ。

授業内容、学費、卒後の進路。
具体的な話を聞く中で、高校2年時にお世話になった接骨院での経験と、この学校見学が、一本の線でつながった感覚がありました。


「この道やな」

そう思い、柔道整復師を志すことを決意。

これまでまともに受験勉強をしたことのなかった私は、人生で初めて本気で勉強し、受験に挑戦しました。

学科試験後の面接では、

「黒帯持ってます!鳴門市では1番!徳島県では100kg級で2番!四国では5番です!」

と、なんとも中途半端で、絶妙に“惜しい”成績を全力アピール。

面接官の先生方は、さぞかし困惑されたことでしょう。
「黒帯が有利」という噂の真偽はいまだ不明ですが、
無事合格し、柔道整復師へのスタートラインに立つことができました。


こうして10代を振り返ってみると、
とにかく運が良く、何より周囲の方々に恵まれていたと感じます。

自分語りが長くなると押しつけがましくなりますので、
本日はこのあたりで。

機会があれば、「専門学校編」「花の都 大東京編」をお話しさせてください。

次回予告

セルフケアと言えば、まずはこれが思い浮かぶかもしれません。

ストレッチ!

接骨院でもかならず、セルフケア指導でストレッチをお勧めするのですが、なぜ必要なのかを理解していただけるだけで、効果もあがるかと思います。

次回は「ストレッチ」について述べていこうと思います。

コメント

この記事へのコメントはありません。

  1. 動的ストレッチの効能
  2. 静的ストレッチの効能
  3. 院長の自分語り その1
PAGE TOP